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前橋地方裁判所 昭和28年(ワ)15号 判決

原告 桐生喜市 外一名

被告 境町 外一名

主文

被告富岡敏明は、原告らに対し各金二六七、七三五円及びこれに対するいずれも昭和二八年二月二六日から完済に至るまで、年五分の割合による金員を支払え。

原告らその余の請求は、これを棄却する。

訴訟費用は、原告らと被告境町との間に生じたものは全部原告らの負担とし、原告らと被告富岡敏明との間に生じたものはこれを七分し、その二を同被告の負担とし、その余を原告らの負担とする。

事実

原告ら訴訟代理人は、「被告らは、各自原告らに対し金六五六、八八七円及びこれに対するいずれも昭和二八年二月二六日から完済に至るまで、年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は、被告らの連帯負担とする。もし以上の請求が理由のないときは、第二次的請求として、被告境町は、原告らに対し各金一二一、五〇〇円及びこれに対するいずれも昭和二八年二月二六日から完済に至るまで、年五分の割合による各金員を支払え。訴訟費用は、同被告の負担とする。」との判決を求め、その請求の原因として、被告境町の消防団では、毎年秋に、その行事として、団員の慰安旅行を実施していたのであるが、その第一分団では、昭和二七年秋の慰安旅行として、伊香保温泉におもむくことになり、原告らの長男である亡桐生清次郎も第一分団に属する消防団員であつたので、これに参加することゝなつた。右第一分団員一行一四名は、同年一〇月三日団員たる被告富岡の運転する被告境町所有の消防自動車(群第八の八五八九号)に乗車し、伊香保温泉におもむいてこゝに一泊し、翌四日午前一〇時三〇分頃一同は再び被告富岡の運転する右消防自動車に乗車し、伊香保渋川間県道を東武自動車伊香保町停留所附近から渋川市方面に向け出発して帰路についたのであるが、該自動車は、右停留所附近から渋川市方面に向い、こう配急な下り坂を数百メートルにわたり、超速力で暴走して、同四五分頃同町大字伊香保五五三番地の七外丸佐四郎方居宅に激突し、これがため、乗車していた清次郎は、頭がい骨々折に因り即死した。しかして、伊香保渋川間県道の右東武自動車伊香保町停留所附近から衝突現場に至る間は、渋川市方面に向い急こう配になつた下り坂であるから、自動車運転手が自動車を操縦して、かゝる急坂を通過するには、(1) 出発前、車体各部を点検して、その故障の有無につき周到な注意を払つて異状のないのを確認し、(2) また、特に制動能力については、充分な注意を払い、制動装置もフツトブレーキ、サイドブレキーだけでなく、発車前にギアを入れてエンジンをかけ、エンジン自体の操作によつても減速し得るようにした上で発車すべき注意義務があるにもかゝわらず、同被告は、不注意にも、右(1) (2) の注意を怠り、フツトブレーキ、サイドブレーキがいずれも故障していて、その制動能力が充分でないことに気付かず、更に、エンジンをかけないで「バツク」に入つていたギヤを「ニユートラル」にし、そのまゝ漫然発車して急坂を下降し始めたゝめ、加速度により急速に速力が増大し、フツトブレーキ、サイドブレーキをかけたが、制動能力が充分でないため減速できず、且つそのため、ギヤを入れようとしたが、これが容易に入らなくなり、従つてエンジンも始動できないため、エンジン自体の操作による減速の措置もできない状態のまゝ下降を続け、ついに超速力をもつて右急坂を暴走して停車不能となり、ついに右消防自動車は、人家に激突したのであるから、本件事故の発生は、被告富岡の過失に因るものというべきである。しかして、境町消防団は、被告境町の管理するところであり、被告富岡は、昭和二六年一二月一〇日被告境町の消防長(境町長が消防長の職を兼ねている)により同町消防団員に任命され、本件事故当時、その第一分団に属していたのであるから、被告境町の被用者であり、そして境町消防団の秋季慰安旅行は、その年中行事の一つとして、とりもなおさず被告境町の業務たるもので、これに参加することは、団員の職務範囲に属する公務であり、仮に公務でないとしても、公務に準ずべきものであり、従つてまた、被告富岡が伊香保温泉旅行の往復に消防自動車を運転したことも、公務ないしは準公務として、被告境町の業務の執行というべく、結局本件事故は、被告富岡が被告境町の被用者として、その業務の執行中に発生せしめたものというべきであるから、被告富岡は、不法行為者として、また被告境町は、その使用者として、いずれも清次郎に対し即死をひき起した加害行為により生じた損害を賠償すべき義務があるというべきところ、原告らは、清次郎の死亡に因り、後記のように、その損害賠償債権を承継したから、被告らは、原告らに対し右の損害を賠償すべき義務があるほか、なお清次郎の死亡に因り、原告らの被つた精神上の損害を賠償すべき義務がある。しかして、清次郎は、本件事故発生当時、小林木工有限会社に勤務し、給料として、月額金六、〇〇〇円を支給せられていたので、一ケ年の総収入は、会計金七二、〇〇〇円に達するところ、清次郎の生活費、平均一ケ月金一、五〇〇円で、一ケ年合計金一八、〇〇〇円であるから、その純収益は、最低一ケ年金五四、〇〇〇円である。そして、清次郎は、大正一五年一月一日生の普通健康体の男子で、死亡当時二六才であつたから、厚生省発表の生命表によれば、その将来の生存年数は、三七・六年で、本件事故がなかつたならば、同人は、向後なお三七年間生存し、且つ勤務し得るものとして、その間少くとも前記純取益を得ることができるものというべく、従つて、本件事故のため、三七年間に得べかりし純収益合計金一、九九八、〇〇〇円を喪失し、これと同額の損害を被つたものであるから、被告らに対し賠償として、右金額からホフマン式計算法により年五分の中間利息を控除した金一、一一三、七七五円四三銭を一時に請求することができるところ、原告らは、清次郎の死亡に因り、その遺産の相続をなし、右損害賠償債権を承継取得したのであるが、その相続分は、相等しいから各自その半額金五五六、八八七円七一銭の損害賠償債権を有するものである。また、清次郎は、原告らの長男で、原告らは、行未は清次郎に老後の扶養を受けようと思つていたゞけに、同人に対する愛情も深かつたのであるが、同人の死亡に因り、それぞれ精神上じん大な苦痛を被つたのであるから、被告らは、原告らに対し相当の慰しや料を支払うべき義務あるところ、原告桐生喜市は、明治三五年二月一二日生で、現在製かん(函)業を営んで平均月額金二〇、〇〇〇円の収入を得ているほか、境町内に価格約六〇〇、〇〇〇円相当の宅地九四坪、木造亜鉛ぶき平家建居宅一むね建坪二一坪を所有し、また足利市在住の大塚一郎に対し回収可能の金四〇〇、〇〇〇円の債権があつて、合計金一、〇〇〇、〇〇〇円相当の資産を有し、原告桐生きくは、明治三七年六月一〇日生で、和裁の内職をして平均月額金六、〇〇〇円の収入を得ているのに対し、被告富岡は、自動車修理業を営み、宅地建物合わせて約六〇〇、〇〇〇円、商品約四〇〇、〇〇〇円相当の資産を有し、昭和二八年一〇月資本金二八〇、〇〇〇円の同族の有限会社を設立していること、また被告境町は、地方公共団体であることなど諸般の事情をしん酌すれば、慰しや料額は、原告らにつきそれぞれ各自金一〇〇、〇〇〇円をもつて相当であると思料する。そこで被告らは、原告らに対し以上の請求金額を合算し、連帯して各金六五六、八八七円及びこれに対する本件訴状送達の日の翌日である昭和二八年二月二六日から完済に至るまで、民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払うべき義務がある。

仮に以上の請求が理由のないときは、被告境町に対し第二次的請求として、清次郎は、非常勤の団員であるところ、前述のように、慰安旅行に参加することは、消防団員の公務であり、仮に公務でないとしても、公務に準ずべきものであつて、清次郎の本件事故による死亡は、公務ないし準公務による死亡であるというべきであるから、いずれにせよ被告境町は、消防組織法第一五条の四の規定に基き、遺族である原告らに対し、清次郎の死亡に因つて被つた損害を補償する義務あるところ、右法条に基いて制定されている境町消防団員公務災害補償条例の規定によれば、その災害補償額は、金二四三、〇〇〇円となるから、被告境町は、原告らに対し各金一二一、五〇〇円及びこれに対する本件訴状送達の日の翌日である昭和二八年二月二六日から完済に至るまで、民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払うべき義務がある。よつて、原告らは、まず被告らに対し前記不法行為に基く損害の賠償を求め、その請求が理由のないときは、第二次的請求として、被告境町に対し消防組織法第一五条の四の規定に基く右各金員の支払を求めるため本訴に及んだと陳述し、被告らの抗弁事実は、すべて否認すると述べた。

被告ら訴訟代理人は、「原告らの請求は、いずれもこれを棄却する。訴訟費用は、原告らの負担とする。」との判決を求め、答弁として、原告ら主張の請求原因事実中、被告富岡が境町消防長(境町長が消防長の職を兼ねている)により任命された境町消防団第一分団員であつたこと、原告らの長男である清次郎もまた第一分団員であつたこと、第一分団員が昭和二七年一〇月三日伊香保温泉に慰安旅行をなし、翌四日朝一同が被告富岡の運転する被告境町所有の消防自動車(群第八の八五八九号)に乗つて、帰途についたところ、原告ら主張のような事故が発生し、そのため清次郎が死亡したこと、原告らの相続関係、及び境町消防団員公務災害補償条例に基く補償金額が原告ら主張どおりであることは、いずれもこれを認めるが、その余の事実は、すべて否認する。被告富岡は、万全の努力を払つて事故発生の防止に努めたが、ついにこれを防止し得なかつたもので、同被告に過失はなかつたし、また、同被告は、消防長の職を兼ねた境町長の任命した消防団員ではあるが、被告境町の被用者ではない。それに団員の慰安旅行は、境町消防団の年中行事ではなく、単に団員有志の催しとして実施されたに過ぎず、被告境町の事業の執行とは到底いえないし、またそれは、消防団としての公務でも準公務でもないと述べ、抗弁として、(1) 仮に被告境町が被告富岡の使用者であり、同被告に過失があつたとしても、被告境町においては、被告富岡の選任について相当の注意をしていたことはもち論、当時の町長であつた田島好作が事前に消防団長の桜井豊蔵に対し「慰安旅行には、消防自動車を絶対使用してはならない」旨厳重に注意していたのであつて、その事業の監督についても相当の注意をしていたから損害賠償の責任はない。(2) 仮に被告らに本件事故による損害賠償義務があるとしても、被告境町は、昭和二七年一〇月一三日原告に対し弔慰金、花輪代などとして、金八〇、〇〇〇円を贈呈したところ、原告らは、快くこれを受領し、その際原告らは、被告らと示談をなし、本件事故に関して将来一切の請求をしないことを約して、本件事故による損害賠償債権を放棄したものであるから、被告らに本件事故による損害賠償義務はない。また、放棄したのでなく、被告らに損害賠償義務があるとしても、被告境町は、右金八〇、〇〇〇円の限度で損害を賠償済みである。(3) また、仮に以上の抗弁が理由なく、被告らに損害賠償の義務があるとしても、清次郎は、被告富岡が東武自動車伊香保町停留所前を出発するに際して、団員の船橋泰明、同小山邦雄の二名と共に遅れて駆けつけて来たので、同被告が一たん停車して右三名の乗車を待とうとしたところ、三名は、置き去りにされると誤解し、こう配急な下り坂を徐行しつゝ、下降中の自動車の後部ステツプに不注意にもあわてゝ飛び乗つたので、この飛び乗りの余勢と、急激に加わつた三名の荷重による加速度のため、該自動車は、急に速力を増して右急坂を暴走し始め、ついに停車不能となつた挙句、被告富岡の努力もむなしく、本件事故が発生するに至つたのであつて、本件事故の発生には、叙上のような清次郎らの過失もあつたのであるから、右は、損害賠償額を算定するについて、しん酌されるべきであると述べた。

証拠として、原告ら訴訟代理人は、甲第一ないし第三号証、同第四号証の一、二、同第五ないし第九号証、同第一〇号証の一ないし三、同第一一ないし第一四号証、同第一五号証の一、二、同第一六ないし第二二号証、同第二三号証の一、二、同第二四号証の一ないし三、同第二五号証の一ないし五、同第二六号証の一ないし四、同第二七号証の一ないし七、同第二八号証、同第二九号証の一、二を提出し、証人船橋泰明、同平田徳之助、同根岸芳一郎、同新井国次郎、同小林亨、同設楽福太郎、同津久井美喜司、同福島喜一、同福田伊勢松、同小林勝三郎の各証言、原告桐生喜市本人尋問の結果を援用し、乙第四号証の成立は認めるが、その余の乙各号証は、すべて知らないと述べ、被告ら訴訟代理人は、乙第一ないし第四号証を提出し、証人北爪令翁同飯島弥一郎、同小林真平、同腰塚友次、同栗原延、同松浦竹次郎、同柿沼治平、同内田重治、同桜井豊蔵の各証言、被告富岡敏明本人尋問の結果を援用し、甲号各証の成立は、すべて認める(甲第二九号証の二は、原本の存在も認める。また、甲第一七、第一八号証、同第二三号証の一、二、同第二四号証の二は、いずれもこれを利益に援用する。)と述べた。

理由

境町消防団第一分団員が昭和二七年秋伊香保温泉に慰安旅行でおもむくことになり、原告らの長男である清次郎も第一分団に属する消防団員であつたので、これに参加し、第一分団員一行一三名(員数が一三名であることについては、後記甲号各証により認められる)は、同年一〇月三日団員たる被告富岡の運転する被告境町所有の消防自動車(群第八の八五八九号)に乗車して伊香保温泉におもむき、こゝに一泊し、翌四日午前一〇時三〇分頃一三名中榛名湖見物に回つた一名を除いた一二名の者は(員数が一二名であることについては、後記甲号各証により認められる。)、再び被告富岡の運転する右消防自動車に乗車し、伊香保渋川間県道を東武自動車伊香保町停留所附近から渋川市方面に向け出発して帰路についたところ、該自動車が右停留所附近から渋川市方面に向つてこう配急な下り坂を暴走して同四五分頃同町大字伊香保五五三番地の七外丸佐四郎方居宅に激突し、この事故のため、同乗していた清次郎が頭がい骨々折に因り即死したことは、本件各当事者間に争がない。

成立に争のない甲第九号証、同第一〇号証の一ないし三、同第一一、第一二、第一四号証、同第一五号証の一、二、同第一七、第一八、第二〇、第二一、第二二号証、同第二三号証の一、二、同第二四号証の二、同第二五号証の一、二、同第二六号証の一ないし四、及び被告富岡敏明本人尋問の結果をそう合すると、被告富岡は、昭和二七年一〇月三日伊香保温泉に到着すると、伊香保温泉街入口にある東武自動車伊香保町停留所のある広場の上手(西南側)附近に消防自動車を西南方に向けて停車し、なお右広場が渋川市方面(東方)に向つてこう配約一〇分の一の下り坂となつているので、ギヤをローに入れた上、歯止めとして後輪に石をかつて、その夜は、同所に該自動車を駐車し、翌四日朝出発に際し、事前に車体各部を格別点検することなく、そのまゝの位置からまずエンジンをかけ、方向を渋川市方面に転換した後、ギヤをバツクに入れて停車し、エンジンを止めて団員一同の乗車するのを待つていたところろ、二、三の団員を残して大部分の団員が乗車したので、同被告は、同所附近がバスの停留所になつていて、こゝに自動車を長く駐車しておくことが交通の妨害になることを恐れ、同所から一五、六メートル渋川市寄りに下つた物聞橋附近が、わずかに平たんになつているので、ひとまず物聞橋附近まで下り、そこで再び停車して全員乗車したかどうかを確めた上で、改めて出発しようと考え、前記停車位置から物聞橋まで移動しようとして、その際、徐行しながらギヤを入れてエンジンをかけようと思い、あらかじめエンジンをかけることをしないで、いきなりバツクに入つていたギヤを抜いたところ、ニユートラル(機関が車輪に作用しない状態)になつた該自動車は、急坂にあつたゝめ、自然に動き出して坂を下り始め、ついで同被告は、ギヤをローに入れようとしたが、走行中のため、これが容易に入らず、そのためエンジンもかゝらないので、フツトブレーキをかけたがブレーキオイルが不足していてその制動能力が充分でなかつたゝめ、停車することができず(サイドブレーキが故障していて、その制動能力が全くなかつたことについては、同被告は、前日伊香保町に向う途次これを発見していた)、物聞橋を通過して、そのまゝ渋川市方面に向つて急坂を下降するうち、次第に加速度が増大して出発地点から約三八〇メートルの間を時速約七〇キロメートルの速力で暴走し、全く停車不能の状態になつたゝめに、同被告は、ろうばいの余り、操縦の自由を失い、おりしも反対方向から進行して来た乗合自動車を避けようとして操縦を誤り、ついに外丸佐四郎方居宅に自動車後部を激突し、本件事故が発生したことを認めることができる。しかして、伊香保渋川間県道は、東武自動車伊香保町停留所附近から渋川市方面に向つてこう配約一〇分の一の下り坂であるから、およそ自動車運転手が自動車を操縦してかゝる急坂を通過するには、出発前車体各部を点検してその故障の有無につき周到な注意を払つて異状の無いのを確認し、また、特に制動能力について充分な注意を払い、フツトブレーキ、サイドブレーキのみならず、発車前にギヤを入れてエンジンをかけ、エンジン自体の操作によつても減速し得るよう(いわゆるエンジンブレーキの始動し得る状態)にした上で発車すべき注意義務があることもち諭であつて、被告富岡が不注意にもこれを怠り、フツトブレーキがブレーキオイルの不足のため、その制動能力が充分でないことに気付かず、且つ徐行しながらエンジンをかければよいものと軽信し、漫然バツクに入つていたギヤを抜いて発車し、その結果本件事故をひき起したことは、右注意義務に違背したもので、過失の責を免れないというべきであり、清次郎の死亡は、同被告の過失に基因するものと認めるべく、同被告は、本件事故により生じた損害を賠償する義務がある。

そこで次に被告境町が被告富岡の使用者として損害賠償責任があるかどうかを検討する、被告境町は、被告富岡の使用者であるかどうかを考えるのに、消防組織法によれば、市町村の区域における消防の任務は、当該市町村の責任とするところであり(同法第六条)、市町村の消防は、条例に従い市町村長がこれを管理し(同法第七条)、消防に要する費用は、当該市町村がこれを負担し(同法第八条)、市町村の消防団は、市町村の機関であつて(同法第九条)、以上を要するに、市町村の消防は、市町村の行政事務に属するものというべく、また、地方公務員法第三条第三項第五号によれば、非常勤の消防団員は、当該地方公共団体の特別職に属する地方公務員であるところ、成立に争のない乙第三号証、証人飯島弥一郎、同腰塚友次の各証言、前掲被告富岡敏明本人尋問の結果によれば、境町の消防団長、同副団長及び団員は、町長がこれを任免し、団員は、被告境町から手当を支給されている非常勤の団員であることが認められ、以上を合わせ考えると、団員は、団務その他消防に関する事項については、上司である消防長及び消防団長に統率され、その指揮監督を受け、その他の面では、被告境町の職員として、その限りにおいて境町長の指揮監督に服すべきものであるから、被告富岡は、被告境町の被用者と解するのが正当である。次に本件事故は、被告富岡が被告境町の事業の執行についてひき起したものかどうかを考察してみるのに、前掲各証拠及び証人北爪令翁、同福田伊勢松、同新井国次郎、同船橋泰明、同平田徳之助、同根岸芳一郎、同福島喜一、同松浦竹次郎、同柿沼治平、同内田重治、同桜井豊蔵の各証言をそう合すると、境町消防団員は、従来から団員が町から年二回支給される手当を任意積み立てゝおいて、その費用で毎年一、二回慣行的に団員有志の慰安旅行を催しており、被告境町当局も各分団ごとに分団員がそろつて旅行に行くことを黙認していたのであるが、昭和二七年秋にも、団員の中から慰安旅行実施の話が起り、団員ら相談の上、目的地を伊香保温泉と決め、また団員らは、従来から旅費を少しでも少額にとどめようとして、慰安旅行には本来使用すべきでないことを知りながら、間々消防自動車を使用したことがあつたのであるが、本件旅行にも、参加者は、これを使用することゝし、当日は、私服のまゝで消防自動車に乗車して行くのは、外見上不都合と考えて、参加者一同消防団の制服(上衣だけ)制帽を着用して旅行におもむいたことを認めることができ、その際第一分団の消防自動車運転手たる被告富岡が消防自動車を運転したことは、原告らと被告境町との間に争なく、以上の事実によると、団員有志が、慰安旅行を実施し、これに参加することは、消防団の職務とは無関係の私事であつて、消防団としての公務ないし公務の遂行を助長するための公務に準ずべき任務とは、到底称し得ないどころか、本来消防自動車は、不時の火災発生に備えて常時待機しておくべきもので、その性質上、みだりに私用などに使用すべきものでないこともち論であるのにかゝわらず、いやしくも消防団員たる者が、その正当でないことを知りながら、あえて慰安旅行に消防自動車を使用したことは、消防団員としての地位を濫用した全く不法な行為と目すべきものである。しかしながら、民法第七一五条にいわゆる「事業の執行につき」というのは、被用者の行為がその担当する職務についてなされたものであることを要するのであるが、それは必ずしも当該業務が常に正当に執行される場合だけをさすのではなく、被用者のなした行為の外観を観察し、客観的に判断して、それが被用者の職務の範囲内の行為であると認められる場合には、被用者の行為が主観的には、自己または他人の私用の目的を達するために、固有の業務を離れ、あるいは、その地位を濫用してなした行為であつても、使用者の事業の執行についてなされたものであると解すべきであるところ、これを本件の前認定事実について見ると、被告境町所有の消防自動車に境町消防団第一分団員がその制服制帽を着用して乗車し、同第一分団所属の右消防自動車運転手である被告富岡がこれを運転したのであるから、その外形をとらえて、客観的に判断すれば、被告富岡が公務として運転する場合と何ら異るところなく、外形上同被告の職務の範囲内の行為と認めるべきもので、本件事故は、同被告が被告境町の事業の執行について生ぜしめたものというを妨げない。ところで、

民法第七一五条にいわゆる第三者とは、通常使用者及び当該不法行為者たる被用者以外の者を指称するのであるが、本件事故の被害者である清次郎は、境町消防団第一分団員として、自らも消防自動車を使用して慰安旅行に参加することによつて、清次郎自身同僚である被告富岡らとともに前述のように地位を濫用して法の許さない行為をなし、その際同被告の前示過失により本件被害を受けるにいたつたのであり、これにもとずく損害の賠償を使用者たる被告境町に求めようとするのであるから、かかる場合には、清次郎は、同法条にいわゆる第三者に該当しないと解するのを正当とする。

しからば、原告らの被告境町に対する不法行為に基く請求は、既にこの点において理由がないから、その余の点については、判断を用いるまでもなく失当として排斥をまぬかれない。

よつて、進んで被告富岡の抗弁について案ずるのに、同被告は、まず、原告らは、損害賠償債権を放棄したと抗争するので検討すると、前掲各証拠と、成立に争のない甲第一ないし第三号証、同第四号証の一、二、同第六号証、同第二七号証の一ないし七、証人設楽福太郎、同小林貞平、同小林勝三郎の各証言をそう合すると、本件事故が発生すると、被告境町当局は、直ちに事態の拾収に着手し、昭和二七年一〇月五日取りあえず被告境町吏員飯島弥一郎をして原告家に香でんとして金一〇、〇〇〇円と花輪を贈り、次いで、同被告消防委員会、町会協議会の決議を経て、原告ら及び本件事故により清次郎と同じく死亡した設楽定雄の遺族に対し弔慰金として各金八〇、〇〇〇円を贈呈することを決め、同月一三日これを原告ら及び設楽両家に贈り、他方被告富岡に対する刑事訴追のあることを予想して、これに対する減刑運動を起し、示談書と題して、各被害者(死亡した者については、その遺族)と被告境町、同富岡を当事者としてその各氏名を掲記し、その間に、本件事故については、円満に示談が整い、被害者(またはその遺族)は、本件事故に関し、いかなる事由によるも今後一切請求しないこと及び加害者に対する刑が減軽されるよう願う旨の文言を記載し、あて名を群馬地区警察署長とした書面を、被害者あるいはその遺族の数に応じ印刷作成し、これを各被害者宅に持参して示談を進めるとゝもに、被告富岡の減刑の嘆願方を依頼し、当時の境町助役腰塚友治、消防委員北爪令翁ら数名の者が同月一四日原告方にも前記示談書を持つて訪ね、これを原告桐生喜市に示して、右書面中桐生喜市と印刷してある名下になつ印を求めたところ、同原告は、これに応じてなつ印したのであるが、被告境町当局としても、事態の解決と被告富岡の減刑の懇請に急な余り、その際に、示談の条件については、全然話題に上がらず、たゞ形式的に原告桐生喜市のなつ印を求め、また原告らとしても、その子の不慮の死を見ていくばくの日も経つていないときでもあつて、物ごとを落ち着いて考える心の余裕のない折のことゝて、原告桐生喜市において深く思慮することもなくなつ印したこと、従て、右示談書は、被告富岡に対する刑事訴追に対処することを主眼とするものであることをそれぞれ認めることができる。以上認定事実に徴すれば、被告富岡、同境町と原告らとの間に前示示談書が作成せられるにいたつたからといつて、直ちに原告らにおいて損害賠償債権を放棄したものと認めることは、できないというべきであり、他に右認定をくつがえすに足りる証拠もない。しからば、原告らにおいて損害賠償債権を放棄したとする被告富岡の抗弁は、採用することができない。

よつて、進んで損害額について検討すると、前掲各証拠、成立に争ない甲第七号証、証人小林亨の証言、原告桐生喜市本人尋問の結果によれば、清次郎は、昭和二七年二月から小林木工有限会社に製材工として勤務し、本件事故当時月収金六、〇〇〇円を得ていたことを認めることができるから、その一年間の総収入は、合計金七二、〇〇〇円に達するところ、右各証拠により認められる、清次郎が原告らと起居を共にしていたこと、同人が大正一五年一月一日生で、当時二六才の独身の健康体男子であることのほか、同人の職業、地位、当時の物価など諸般の事情を考慮すると、清次郎の一ケ月の純収益は、生活費を差し引いて、一ケ月の収入の四分の一と認めるのを相当とする。従つて一ケ年間のその純収益は、少くとも金一八〇〇〇円である。そして前認定のように、清次郎は、大正一五年一月一日生で、当時二六才の普通健康体の男子であるところ、二六才の普通健康体男子の将来の生存年数が四一年であることは、顕著な事実であつて清次郎は、本件事故がなければ向後なお四一年間生存し、且つ前記会社に勤務し得るものと認められるから、四一年間の純利益金七三八、〇〇〇円が清次郎の将来得べかりし利益で、同人は、本件事故に因りこれを喪失し、同額の損害を被つたものである。そして、これを今一時に請求するには、ホフマン式計算法により年五分の中間利息を差し引き、損害金三九五四六九円となすべく、清次郎は、被告富岡に該金額を請求し得るもので、原告らが、清次郎の死亡に因りその遺産を相続し、その相続分の割合が相等しいことは、原告らと被告富岡との間に争ないから、原告らは、それぞれ被告富岡に対してその半額金一九七、七三五円宛の損害賠償債権を有するものである。被告富岡は、清次郎にも同人が他の団員二、三名と自動車に突然飛び乗つた点に過失があつたと主張するが、前掲各証拠によれば、被告富岡が伊香保町東武自動車停留所附近を発車したところ、清次郎が他の二、三名の団員と共に自動車の後部ステツブに飛び乗つたことは、これを認めることができるが、このこと自体が自動車の前示暴走に原因を与えたとの点についてこれを認めるに足りる明らかな証拠のない本件においては、清次郎に過失ありというに由ないから、この主張は採用できない。

次に慰しや料の点について検討するのに、清次郎が原告らの長男であり、原告らにしてみれば、老後は、清次郎の扶養を受けるべく、それだけに同人に対する期待も多かつたことは、推認するに難くなく、また原告本人尋問の結果によれば、原告桐生喜市は、植木職を営んで月々金一五、〇〇〇円ないし金一六、〇〇〇円の収入を得ているほか、不動産として、宅地三〇坪、建坪二一坪の家屋、また時価約三五〇、〇〇〇円の盆栽を所有し、金七〇〇、〇〇〇円の銀行預金を有し、また、原告桐生きくは、二女と共に和裁をし、三女が染物工場に勤め、合わせて月々金一六、〇〇〇円ないし金一七、〇〇〇円程度の収入を得て、かなり楽な生活をしていることが認められ、これに原告らの年令並びに前掲各証拠により認められる、被告富岡が同族会社である資本金三〇〇、〇〇〇円の有限会社富岡輪店の社員で、その有する持分が一〇口(金一〇、五〇〇円)であるほかは、同被告名義のものとしては、格別の資産がないこと、他方、被害者たる清次郎にも前述のような不法な点があること、被告境町から原告らに対し前示認定のとおりの経緯で金八〇、〇〇〇円ほかの金員が支払われていることなど諸般の事情を考慮すれば、請次郎の死亡に因り原告らの被つた精神上の苦痛に対する慰しや料は、各金七〇、〇〇〇円をもつて相当と認める。しからば、被告富岡は、原告らに対し原告らが清次郎から相続した損害金各一九七、七三五円、慰しや料各金七〇、〇〇〇円合計各金二六七、七三五円及びこれに対する本件訴状送達の日の翌日であること記録に徴して明らかである昭和二八年二月二六日から完済に至るまで、民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払う義務がある。

次に原告らの被告境町に対する第二次的請求について検討するのに、消防組織法第一五条の四の規定に基き、遺族がその損害の補償を請求し得るには、当該消防団員の災害が公務に因るものであることを要するところ、前述のように、団員有志の慰安旅行は、消防団の職務とは無関係の私事であつて、消防団としての公務でもないし、公務に準ずるものでもない。従つて慰安旅行が公務である、ということを前提とする原告らの同法条に基く請求は、その余の点について判断するまでもなく、失当というべきである。

よつて、原告らの本訴請求は、被告富岡に対する請求のうち前示の限度においてのみ正当であるから、その限りでこれを認容し、その余は、失当としてこれを棄却すべく、訴訟費用の負担については、民事訴訟法第八九条、第九二条条、第九三条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 川喜多正時 荒木秀一 菅本宣太郎)

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